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エネルギー自立地域経済好循環 × イノベーション 
                 持続可能なまちづくり

第20回 小林直昌(CV主任研究員 / 真建築事務所)

出身地である福島県いわき市を拠点に活動する小林直昌さんは、高性能住宅「ウェルネストホーム」のモデルハウスを、全国各地で設計してきました。小林さんがいち早く省エネ建築を手がけるようになったきっかけには、彼の人生を変えたドイツ訪問と福島を襲った原発事故の経験がありました。

「若い人たちに省エネ建築のノウハウを伝えるのがいまのぼくの役割」と語り、積極的に人材育成に取り組む小林さんから、未来の街づくりについてお聞きしました

■白紙から形をつくる
Q:建築家になった経緯や、クラブヴォーバンとの出会いについて教えていただけますか?

子どもの頃から工作が好きで、大きくなってからもモノを作る仕事に憧れていました。大学では建築を専門にして、卒業後は地元のいわき市で設計事務所に務めました。それから36年間、ずっと建築の道を歩んでいます。設計の仕事は、何もない白紙の状態から一本ずつ線を引いて建物をつくるので、やりがいを感じてきました。

 

一社クラブヴォーバン代表の早田さんと出会ったのは、十何年か前だったと思います。当時の早田さんは、これまで培ってきた家造りのノウハウや営業の仕方についてのセミナーを、全国で開催していました。いわき市で行われたセミナーに、私が参加したのです。私はそれまで主に店舗や体育館を手がけていて、一般の住宅はほとんどやっていませんでした。一般のお客さんを相手にする家造りもしたいと考えていた時期だったので、どのようにすればよいのかという基本的な考え方を教えてもらい、参考になりました。

 

その後、早田さんがドイツに通い、世界基準の高気密高断熱のエコハウスを研究するようになりました。彼から「小林さんも絶対行ったほうがいい」と促され、ドイツの街づくりや家造りの考え方を学びました。それがあまりに日本のスタンダードと違うので、驚きました。

 

■体育館や刑務所も寒くない
Q:ドイツでは、具体的にどんなことに驚いたのでしょうか?

例えば、断熱材の厚みです。当時の日本では、10センチもあれば「すごいね」と思っていました。ところがドイツでは30センチは当たり前で、40センチのものも珍しくありません。窓ガラスも3枚(トリプルガラス)が標準でした。住宅だけではありません。例えば学校の体育館も住宅と同じようにものすごく断熱されていました。体育館を作っていたからよくわかるのですが、日本の体育館の壁なんてペラペラで、まったく断熱などしていません。大違いです。

 

なぜそこまでやるのかと理由を聞けば、ドイツでは「暑さや寒さから身を守ることは基本的人権」になっているということでした。子どもが使う体育館だって、寒すぎる環境にするのは人権侵害だという考え方なんです。囚人が入る刑務所だって、しっかり断熱されています。このように、どんな建物でも真冬に18℃以下にならないように作られている。それがとにかく衝撃でしたね。

 

■150年先を見据えた街づくり
Q:
他にどんなところが印象に残っていますか?

美しい街並みがすごく印象的でした。都市部であっても日本と比べて緑が多く、森の中に街があるように感じました。それから、自動車中心、道路中心の街づくりを変えようとして、路面電車を積極的に活用するエリアも増えてきています。

 

街並みを際立たせていたのは、100年や200年経った古い建物です。古いものに価値を置き、ずっと大切にしている姿勢が素晴らしいと感じました。さらに古い建物であっても、やはり室内は寒くありません。訪れたのは冬だったので外はすごく寒いのですが、家に入るとどの部屋にいっても寒くない。外観は昔の建物のままでもしっかり断熱リフォームがされていたのです。

 

ドイツでは、家が150年や200年長持ちするのは当たり前です。それは、150年後の街並みを想定して街づくりが進められてきたということでもあります。苗を植えれば100年後には森になる。日本ではそういうビジョンで木を植えたり、街づくりがされてきたわけではありません。その差に愕然としました。

 

■引き渡し直前に起きた大地震
Q:東日本大震災の経験を教えてください

ドイツで学んだことを取り入れ、長持ちして燃費がよく、快適でメンテナンスコストかからない家を、日本でも造りたいと思いました。早田さんがコンセプトをまとめ、私が設計して、いわきで初めて低燃費住宅(現ウェルネストホーム)を建てたのは、2011年のことです。ところが完成してお客さんに引き渡す直前に、東日本大震災が起こりました。

 

いわきでも震度6強の揺れがあり、壊れた建物も多かったので、心配になって新築した家を見に行きました。驚いたことに、あれだけの揺れだったのに、外壁にヒビひとつ入っていませんでした。自分で建てたとはいえ、その頑丈さに「これはすごい!」と感動しました。

 

■原発事故がもたらした決意
Q:その後の原発事故では、避難も経験されたそうですが?

当時は情報が錯綜していたので、念のために家族で自主避難をすることになりました。1ヶ月ほど経って少し落ち着いてきたころ、子どもたちの学校が始まるのでいわき市に戻りましたが、一時は「もう戻れないかもしれない」とも考えました。

 

福島で暮らしてきた私にとって、「原発は安全」で「小さなエネルギーで発電できる」という話を信じ込まされてきたので、「まさかこんなことになるとは」という思いでした。避難先では、当時小学生と中学生の子どもたちはやることもなく、学校再開の見通しもわからないこともあり、大きなストレスを抱えました。

 

いわきに戻ってからは、既存の建物がエネルギーを無駄に垂れ流していることを、それまで以上に意識するようになりました。自然エネルギーを増やすことも大切ですが、それだけではいけない。建物の省エネによって、原発何基分ものエネルギーを減らすことができます。あんなにひどい事故のリスクを抱えた発電所なんて、ないほうがいいに決まっています。これからはエネルギーを無駄遣いしない建物を増やすことで、原発のいらない社会を実現したいと強く決意しました。

 

■個別の建物だけでなく、街づくりもセットで考える
Q:これからどのようなことをしていきたいでしょうか?

学生時代は建築の勉強をしましたが、建物の耐震性や温熱環境、そして持続可能性については何も教わりませんでした。いまの大学でも、エネルギーの話はほとんどしていないはずです。ドイツの建築業界は、エネルギーはもちろん外構や街並みもセットで考えるのが常識になっているようです。そこから、生き方や価値観を含めて学べるところが多いと感じました。

 

これから何ができるかを考えると、個々の住宅を建てるだけではなく、街づくり全体に関わり、子どもたちに持続可能な社会を残したいと思っています。そのような意味で、クラブヴォーバンの携わる北海道ニセコ町の街づくりに参加できた経験は、大きな財産となりました。

 

日本社会でも東日本大震災をきっかけに、建物の省エネや断熱について話題に昇るようになってきました。私たちのところへ来る問い合わせも、10年前とは比べ物にはならないほど増えています。私は若い世代に、自分の知識や技術を引き継ぎながら、そのような動きをどんどん広げたいと思っています。